おはようございます。天気が「暴風雪」という秋田市予想最高気温1度、最低気温マイナス1度。風が強いので体感温度はもっと低くなりそうです。
そんな悪天候の中でも、昨日はぽっかりと風も雪も収まる時間が多そうだったので「呪術廻戦0」を見に行ってきました。行く前に納品先のスタッフに「途中までしかアニメ見ていないんだけど、映画わかるかな~?」と興味を示されたので「どうやら”0”ってのは、アニメのストーリーの前に起きた出来事らしいから大丈夫!」と勧めてきました。しかし、原作だともっと関係性がわかるようです。
いい大人がなにやってんだか。。。
得体のわからない災厄が世界中をおおっているようなこのごろです。なにか悪いものを取り払ってしまいたい、という気持ちはいつの時代もあるのでしょうが、特にここ数年は「なにか悪いことした?」という思い当たらない悪いことが続いています。
そんな時に、それが「鬼」だったり「呪い」に形を変えて、小さく弱いながらそれぞれ個性や特技をもって乗り越えていく姿が人々の共感を呼ぶように感じます。
「呪いの言葉」が残っている場所として「学校」や「病院」、「さびれた商店街」が取り上げられていますが、なるほどなあ「負の感情」はそこに溜まるよなあと納得。
どんなマンガ、アニメでも作っているのはオトナですし、オッケー出すのも、宣伝したり、紹介するのも納得ができる部分が多ければ多いほど説得力があります。
呪術と祓う者たちは、対立している訳ではなく、どちらかが関係性において圧倒的に力を持っている訳でもない。変わる可能性を秘めています。

エンドロールが流れる中、BGMが変わりました。映画館内立ち去る観客はいません。King Gnu(キングヌー)の「一途」も「逆夢」も映画の世界観にぴったり合致しています。
安倍晴明のことを描いた「陰陽師」シリーズも、呪術や言霊が取り上げられていました。言葉に意味を持たせる文化は、昔からありますよね。言葉を言い換えて直接表現しないことで「尊敬」や「恐れ」を表すこともあります。これは、ハリー・ポッターで「名前を言ってはいけないあの人」とヴォルデモード卿のことを表現している例にも似ています。
言葉のほかに「名前を奪うこと」でその人を支配する「湯婆婆」が出てくる「千と千尋の神隠し」にも神様がいろんな姿で登場しています。
民間信仰と呪術、宗教など今はマンガやアニメに取り込まれているのが面白いです。
なにか気がひかれる要素があるんです、きっと。「気」という言葉に込められたパワーもあります。何かはっきりしないものに左右される事件や災厄が起きるたびに、なんとか納得しないと次に進めない人の気持ちが大きく影響しているのでしょう。
劇場版呪術廻戦0は、大きなスクリーンで楽しめる風景、夜景も魅力的でした。お時間ありましたら、どうぞ劇場へ。
では、また!
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