2022年3月老母からメインの炊事と家計を引き継いでから5カ月、この8月念願の冷蔵庫の買い替えが完了しました。
壊れていない、とは言うけれど「自動製氷がなかなかできない」のは、酷暑には不向きで、省エネ仕様になった家電にしたいこともあり、母を説得。
過去投稿したあの冷凍庫の「保冷剤」を見てからは、特に収蔵品の管理も必要だなあと痛切に感じていました。

母は、年齢と共に背が縮んでしまっていて180センチの高さの冷蔵庫の一番上の棚は、とりあえずモノを押し込むスペースになっていました。
あるタイプの人には、自分が見えている場所をきれいに片付けると、不要なものを冷蔵庫の一番上だったり、二階の使っていない部屋だったり、引き出しや紙袋に入れて「なかったこと」にする傾向があります。
知らない人、たまにしか来ない家族には「きれいに片付いた実家」に見えるのですが、ところがどっこい同居してみると、これはいつのメモ?という軽いものから、使いかけのソースが二瓶とか、いろいろ出てきます。
【冷蔵庫から出てきた瓶もの】
- 開封して食べかけのジャム→カビが生えている、カピカピに固まっている
- 山菜の佃煮的ないただきもの→いつのものか不明、フタがずれていて開かない
- すでに「なんだかわからないもの」
10個くらい中身を出して、瓶を洗っていたのですが、なかなか作業が進まないのでそこからは可燃ごみ(当地では中身の入った瓶は可燃ごみに分類されます)へ。
【冷蔵庫から出てきたチューブのもの】
賞味期限の切れたチューブの調味料は、この際処分しました。100円ショップでケースを購入。立てて収納することによって「見える化」。寝かせておくと見つけられず重複して買うことがありがちです。
きれいなスペースのために、どこかに不要なものを移動させることをやめるようにしたいです。
冷蔵庫を新調することで「余裕のある空間」が心地よいことを母にわかってもらいたい。「物がびっしりあること」が「豊かさの象徴」だっただろうし、物が乏しい時代を過ごしてきた母には「捨てること」は悪にも等しいことかもしれません。
それでも、見ないふりはしないでいこうと思います。
ただ、高齢者にとって「それを買った時の思い出」や「罪悪感」があることを心に留めておかなくては、と、ついキツイ言い方になる自分へ言い聞かせます。
人生百年時代の高齢者の暮らしは、思いのほかアクティブで介護オンリーではありません。同じような環境、境遇でも、ひとりひとり違っています。すべてに共感できなくても、その中から自分にフィットする生き方を取り入れていけたらと思います。
では、スーパーに涼みにいってきます。
コメント